どこだよ
城址までは早良区板屋方面の尾根上から登山道が続いており徒歩で容易にアクセスできるほか、鷲ヶ岳城の方面からも登山道が続いているようだ。
今回は戸板集落から戸板林道を通って城址まで半ば遭難気味にたどり着いた。
途中で道はなくなり、急斜面を強引に上ることになるので、前述のルートを通ることを強くおすすめする。
急いでいたため、前述の大丸池や石垣は残念ながら発見できなかった。(後悔)
以下の写真は2017年12月に撮影

戸板林道の入口はこのようにゲートで通れないようになっている。また、横も動物除けのフェンスでふさがれている。
動物除けのフェンスをどかして林道内に入った。(一応付近の住民に許可もらってます)
実はここに来るのは3度目で、今回初めてこのフェンスの向こうへ行くことができた。当然ワックワクですよ、はい。

林道わきにある穴。防空壕の跡だろうか…?

この辺りは日本製紙の社有林であるようだ。写真のように最近木材を切り出した跡がある。
"樫木畑"というのはこのあたりの小字ではないかと思われる。
「郷土誌 那珂川」には明治十五年に調査した際、南面里の小字の一つとして カン(木へんに諸)畑 という地名があり、
これはすなわち 樫畑 ではないかと思われる。
ちなみにこの地点は林道入口から標高にして200mほど登ったところにあるが、城址まではさらに200m以上の高低差がある。
まあどっちにしろ道無くなるんで行き止まりなんだけど




2018年3月 追記
前述の那珂川町郷土史研究会さんのブログを眺めていたところ、成竹山の中腹にある中村山荘跡について、記述のある記事を見つけた。
この記事によると、大正時代に 中村作次郎 という人物によって、 「南畑村大字成竹、南面里地内字前峠、ガクメキ、大丸、黒谷、観音岳」の一帯に
植林が行われたようである。この石碑に関しての記述はなかったものの、"中作"というのは中村作次郎氏のことを指しているのではないかと推測される。


今回はルート選定のミスと探索開始時間が遅かったために、満足な探索は行えなかった。
上で述べた通り城址の石垣や大丸池も発見することはできず、計画と自分自身のガバガバっぷりを反省するばかりである。
また現状では大丸城跡はあまりにも情報が少なく、歴史的背景もほぼわかっていない。せめてもう少し知名度があがれば…
