福岡県那珂川町の城址 大丸城址




大丸城は福岡県那珂川町にあったといわれる城。





大丸城址の場所。

どこだよ





那珂川町郷土史研究会によると、大丸城は同じく那珂川町にある鷲ヶ岳城 の前身で、いつ頃築かれたかはわからないという。
こちらのサイトによれば、石垣や郭が今も残っているそうである。
また、大丸城の東部斜面には大丸池があり、「郷土誌 那珂川」によれば昔は雨乞いの際にここを訪れたという。




城址までは早良区板屋方面の尾根上から登山道が続いており徒歩で容易にアクセスできるほか、鷲ヶ岳城の方面からも登山道が続いているようだ。

今回は戸板集落から戸板林道を通って城址まで半ば遭難気味にたどり着いた。
途中で道はなくなり、急斜面を強引に上ることになるので、前述のルートを通ることを強くおすすめする
急いでいたため、前述の大丸池や石垣は残念ながら発見できなかった。(後悔)



2018年4月24日 追記

那珂川町郷土史研究会 様のサイトにここ一か月くらいアクセス出来ていない。
ブログのほうは404エラーを返し続けている状況。
悲しいなあ…


以下の写真は2017年12月に撮影

戸板林道入口

戸板林道の入口はこのようにゲートで通れないようになっている。また、横も動物除けのフェンスでふさがれている。
動物除けのフェンスをどかして林道内に入った。(一応付近の住民に許可もらってます)
実はここに来るのは3度目で、今回初めてこのフェンスの向こうへ行くことができた。当然ワックワクですよ、はい。


林道脇の穴

林道わきにある穴。防空壕の跡だろうか…?


日本製紙社有林

この辺りは日本製紙の社有林であるようだ。写真のように最近木材を切り出した跡がある。
"樫木畑"というのはこのあたりの小字ではないかと思われる。 「郷土誌 那珂川」には明治十五年に調査した際、南面里の小字の一つとして カン(木へんに諸)畑 という地名があり、
これはすなわち 樫畑 ではないかと思われる。
ちなみにこの地点は林道入口から標高にして200mほど登ったところにあるが、城址まではさらに200m以上の高低差がある。

まあどっちにしろ道無くなるんで行き止まりなんだけど






大江岳

大丸山

急斜面にへばりつき、茨が体中に刺さりながらも城址に到達した。良い子はちゃんとしたルートを通ろうね!
城址西側では"大江岳"の標識、山頂では"大丸山"の標識を確認した。しかしこの二つの間は数十メートルしか離れておらず、なんとなく不思議である。
また大江岳については登山系のサイトで少数の到達報告が確認できただけで詳細は不明。謎まみれすぎる…


山頂

大丸山の山頂。展望もほとんどなく、また城址であったものを示すものも見つからなかった。


中作さんオッスオッス!

中作?と彫られた石。同様のものは成竹山への登山道などで複数見つかっているが、例によって例のごとくこれも詳細不明である。


2018年3月 追記
前述の那珂川町郷土史研究会さんのブログを眺めていたところ、成竹山の中腹にある中村山荘跡について、記述のある記事を見つけた。
この記事によると、大正時代に 中村作次郎 という人物によって、 「南畑村大字成竹、南面里地内字前峠、ガクメキ、大丸、黒谷、観音岳」の一帯に
植林が行われたようである。この石碑に関しての記述はなかったものの、"中作"というのは中村作次郎氏のことを指しているのではないかと推測される。

2019年1月追記

那珂川市寺倉の方によれば、上記の予想通り"中作"は中村作次郎氏のことであるという。




大丸山東側斜面

大丸山東側斜面の写真。それ以上でもそれ以下でもない。



このあと登山道をたどって板屋付近の尾根上まで歩いた。

大丸山への登山道入り口

尾根上には九州電力の鉄塔の管理用に道が通っている。写真は管理用巡視路から大丸山への登山道の入り口。
別に僕が看板を叩き割ったわけではない。最初から割れていたのである。
この「十条製紙」という会社は現在の 日本製紙 の前身であるらしい。前述の日本製紙社有林とも関連があるだろう。
ちなみにこのあと戸板越の探索を行い、またも山中をさまようことになる。




今回はルート選定のミスと探索開始時間が遅かったために、満足な探索は行えなかった。
上で述べた通り城址の石垣や大丸池も発見することはできず、計画と自分自身のガバガバっぷりを反省するばかりである。

また現状では大丸城跡はあまりにも情報が少なく、歴史的背景もほぼわかっていない。せめてもう少し知名度があがれば…






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