篠栗町の廃村 大倉集落跡 #
探索日 #
- 探索日 : 2014年,2017年11月
- ページ最終更新日 : 2022年5月26日
大倉集落 #
大倉集落は篠栗町大字高田にあった集落。
谷奥の緩い斜面に位置しており、現在は廃村となっている。
1920年代の25000分の1地形図では集落の記載があるものの、
1936年測図のもの以降では記載が無くなっている。
後述の通り、大正時代ごろ廃村化したと思われる。
(今昔マップ調べ)
集落の現状 #
大倉池と改修記念碑。この付近には「大倉溜池」という池もある。 すでに集落は無住化したものの、このようにため池に名前が残っている。 集落跡へは池の近くを通る林道を上っていく。
林道を上っていくと、やがて道の横を流れる川に橋台の跡を見つけることができる。 古地形図ではこの辺りで川を渡って集落跡まで道が続いている。 橋台跡から集落跡までは現在地形図に記されている林道と 古地形図のルートとは異なっている。 今回は林道を離れ、この橋台跡を徒渉して集落跡へ向かった。
集落跡地 #
道沿いの平坦な場所。またこの付近では石垣も発見できた。 かつて田畑があった跡だろうか。
ある程度しっかりした道が残っていた。
途中で道筋が消滅した為、谷を遡行したところ集落跡の平場に到着した。 石垣こそ発見できなかったものの、 広い範囲にわたって平坦で人工的な地形が確認できた。 また陶器の破片も確認できたが、これがいつの時代のものかは不明である。
▼ ここからは2014年探索時の画像 #
先ほどの橋台跡から林道をさらに登ったところ。 この先に橋が落橋している場所があり集落跡はそこを越えた先にある。
屋根瓦がこのようにまとめてあった。 集落が現役であった時代の遺物かどうかは不明。(違う気がする)
高田集落の方の話によれば、ここ大倉に住んでいたのは三田家のみであったという。 石碑より離村は1923年であるということがわかる。 ちなみにこの石碑自体は平成四年十二月に建立された模様。
墓はいずれも明治やそれ以前の古いものばかりだが、 最近まで管理されていた形跡がある。
享保21年(1736年)に黒田候(言わずもがな福岡藩の藩主)から 山を譲り受けたことが記されていた。
古地形図では集落跡から萩尾集落に越す 点線の徒歩道が描かれており今回はそれも探索した。 だが集落跡から峠までは写真のように ある程度は道がわかる場所もあったが大部分は不明瞭であり、 正確に道跡をたどる事は出来なかった。