宮若市 夫婦木集落

宮若市若宮町の廃村 夫婦木集落 #

探索日 #

探索日 : 2018年12月 ページ最終更新日 : 2022年5月26日

夫婦木集落跡 #

力丸ダムは福岡県鞍手郡若宮町(現 宮若市)にある、1965年完成のダムである。 このダム建設に伴い水没した集落がいくつかあり、 近隣の小川集落ものその一つである。 この夫婦木(めおとぎ)集落はダム湖畔にあり、 水没は逃れているものの現在は無住となっている。 力丸ダム湖畔にはスケート場やホテルなどのレジャー施設が建設され、 一時は大いに賑わったようであるが現在はすべて閉鎖されている。 ここ夫婦木集落にも魚釣り場などが設けられたが、現在は廃墟となっている。 ダム完成後もしばらくは集落に定住者が居たと思われ廃屋が残っている。

かつての集落 #

この集落について調べたところ、明治初期編纂の「福岡県地理全誌」には

夫婦木 一戸

との記述がある。 前述の小川集落の元住人の方の話では

読みは「めおとぎ」で、かつて一軒の家があった。
飯塚の伊岐須に抜ける道があったのではないか。

とのこと。 「嘉穂郡誌」には、嘉穂郡建花寺(現 飯塚市)から夫婦木への峠が「女夫木越」として記載されている。 夫婦木から飯塚へは、笠城ダムに越える道と建花寺方面に行く道の二つがあり今の地形図にも記載されている。


集落の現状 #

集落跡地 #

集落跡地1 廃墟となった建物。 これは魚釣り場の施設であると思われる。 この付近にはかつての住民のものと思われる墓地もあった。

集落跡地2 廃墟から登って行く道の対岸には祠があった。 ちなみにここまでの道はないので、 沢を渡って急斜面を登らなければならない。

対岸の二つの祠 祠は二つあった。 どちらも古びていて長い間人手の加わっていないことがわかる。

祠の前面 右側の祠の前面。 風化して読み取りづらいが、「寄進」の文字が確認できる。

祠1 祠2 祠3 祠4 「祭日 八月廿三日」、「丹波□□武士 死亡八月廿三日 歳六十三才」、 「明治四十四年十一月四日…」、「明治十六年…」 などの文字が読み取れる。これらの祠は誰かの墓なのだろうか。 元住民のものと思われる墓は別に発見しており、 ここに祀られているのがどういった人物なのかは不明である。

対岸の石垣 同じく廃屋へ向かう道の対岸にある石垣。古い時代の耕地跡だろう。

廃屋 廃墟から坂を上ると一軒の廃屋がある。 ダム建設後もしばらくは人が住んでいたのだろう。

耕地跡 廃屋の付近にある田畑の跡地。 航空写真を見る限り、20~30年までは現役の耕地であったようだ。 これらも集落の無人化とともに放棄されたのだろう。

夫婦木から笠城ダムへ越える峠道 #

地蔵1 地蔵2 夫婦木から飯塚の笠城ダムに越える峠道の途中。 お地蔵様が安置されていた。

夫婦木から笠城ダムに越える峠 峠の頂上。ここまでは徒歩道である。

夫婦木から建花寺への道(夫婦木越) #

砂防ダムの看板 集落跡から少し登ったところに砂防ダムがあり写真はその看板。 集落内を流れる川の名前が「夫婦木川」であることがわかる。

登山者用の案内看板 さらに登ると山道の脇にこのような登山者のための案内看板を発見した。 夫婦木山とは集落南西にある、398mの基準点がある山だろう。

夫婦木越 道中 歩くのがやっとな笠城ダム方面の道と違い、 こちらはそれなりに道幅がある。

夫婦木越 峠頂上 峠頂上の切り通しに到着。