飯塚市 久道寺集落

飯塚市八木山 久道寺集落 #

探索日 #

  • 探索日 : 2019年4月5日
  • ページ最終更新日 : 2022年5月26日

久道寺集落 #

福岡県飯塚市の西部にある八木山高原は標高200~300m程度の台地で、
最西端は八木山峠で篠栗町と接しており福岡市と飯塚市を最短で結ぶ国道201号線が
横断していることから通行する車も多い。
久道寺(きゅうどうじ)集落跡は、その八木山の北側の山奥にある廃村である。
古地形図では「久導寺」とも記されているが、
八木山村についてまとめた鎮西村誌では「久道寺」となっている。
このページでは後者に倣い久道寺と表記する。

かつての集落 #

前述の「鎮西村誌」によれば、
かつてこの場所に久道寺という寺院があったものの現在は人家になっているという。
この村誌の編纂は1963年で当時はまだ住民も居たのであろうが、
今となっては集落も無住となって久しい。
明治初期に編纂された「福岡県地理全誌」には

久道寺 四戸

の記述があり、この時点で既に廃寺となって址は人家になっていることが記されている。

現在の集落 #

現在、集落の跡地は八木山渓流公園キャンプ場の敷地となっている。
集落跡までは小谷集落から谷を登っていくルートと、
池河内集落(これも廃村のようだ)から
谷沿いに北上するルートがあり、いずれも徒歩道である。
これらは本来は一本のハイキングコースであったようだが、
キャンプ場から池河内集落までは土砂崩れによって通行禁止となっている。
今回の探索では小谷集落から南下するルートで集落跡に辿り着た。


集落の現状 #

集落までのアプローチ #

キャンプ場の看板 小谷集落からの登り口には駐車場があり、このような案内看板がある。 残念ながら「久道寺」という地名は看板には出てこない。

集落跡までの徒歩道 集落跡までは廃キングもといハイキングコースになっている。 少なくとも歩く分には苦労しない。

廃村 田畑の跡 20~30分程度登っていくと視界が開け、集落跡に到着する。 またここはキャンプ場でもある。 遊歩道の対岸には石垣で区切られた耕地の跡が明確に残っていた。 そこから少し行くと屋敷跡ではないかと思われる石垣が現れる。

集落跡地 #

廃村 家屋跡地?1 家屋跡地?2 ここがかつて家屋があった場所ではないかと思われる。 背の高い石垣の側には階段も確認できる。 なお画像の小さな廃墟はキャンプ場の東屋であって集落由来のものではない。

廃村 壺の破片 廃村 茶碗の破片 廃村 瓦 この場所では割れた壺(?)や茶碗の破片、屋根瓦を発見した。 これらはキャンプ場ではなく集落由来のものであろう。 最も集落が現役であったころ(おそらく1970年以前)の家屋が 当時から屋根瓦を使っていたと断定することも難しい…
(この付近の古民家は藁葺屋根や、それにトタンを被せた物が多い)
ほかにこの地へわざわざ瓦を落とす要因も考えづらいが。

廃村 キャンプ場 キャンプ場には洗い場や簡素な小屋などの施設がある。 ただキャンプ場自体もそれほど賑わっていないようで、荒廃が見られる。 これらの建物はいずれも段状の耕地跡に展開している。

廃村 集落西側の谷の耕地跡 集落西側の谷沿いにも耕地跡が残っている。 航空写真などから、比較的早い時期に手放されたようだ。

廃村 墓地 キャンプ場から少し登った山の斜面には、墓地の跡があった。 直接見えるようなところではないが、 墓石がゴロゴロ転がっているキャンプ場というのも強烈である。

廃村 豊前坊の滝 看板 そんな滝の一つでキャンプ場上流にある 「豊前坊の滝」には案内看板が残されていた。 すでに朽ちて自然に還りつつあったものの、 内容を何とか解読してみると以下のようになった。

豊前坊の滝
英彦山の末寺の...
久道寺の跡現...
寺は若宮町乙野...
移る当時僧侶
がこの滝..うたれて
勤行につくし....
ゆるが如....

(全然解読できてない…)

自分なりに要約すれば、
久道寺は英彦山の末寺であり僧侶がこの滝で勤行を行った。
久道寺は若宮町(現 宮若町)乙野に移転したという事だろうか。
なお乙野には浄久寺という寺院があり、 いずれ行って久道寺との関連を確かめたいと思う。

廃村 墓石? 集落跡から南側に谷を登ったところ、 現在の地形図で墓地のマークが記されているあたりでは このような小さな石碑を発見した。石碑には「平島」の刻印があった。 背後にあるのは炭焼き窯の跡地である。 この石碑は地形図のとおりでは墓なのであるが、 墓石にしては小さすぎるようにも思える。 とはいえそれ以外にこれが何なのか全くわからない。

廃村 集落跡南側の河内 なおこのあたりでも石垣と平場を確認できた。

池河内集落 #

先ほどから度々出てくる池河内集落だが、こちらも廃村となっているようだ。

池河内集落 住む人間はすでに居ないようだが、作物が栽培されていた。