宮若市若宮町の廃村 大久保集落 #
探索日 #
- 探索日 : 2018年7月、2019年1月
- ページ最終更新日 : 2022年5月28日
大久保集落跡 #
大久保集落は、若宮町(現 宮若市)の廃村。 脇田地区と三ケ畑地区を結ぶ峠(県道92号線の不通区間)の近くにあり、山の斜面に耕地跡や屋敷の跡が遺る。
かつての集落 #
明治初期編纂の「福岡県地理全誌」には
湯原村
大久保 四戸
本村より枝村大久保 一里
とある。集落は山を越えた湯原村に属していたようだ。
力丸ダム湖畔の小川集落の方によれば、
・昔は1軒住んでいたが脇田の方に転出?
とのことで、詳しくは存じないよう。 どちらかと言えば山を越えた湯原や脇田地区とのつながりが強かったと考えられる。
現在の集落 #
脇田地区と三ケ畑地区を隔てる山の斜面に集落は位置しており、
谷沿いの耕地跡とそこから上った斜面にある屋敷跡を確認できた。
航空写真などより、離村は早い時期(戦後すぐ?)と思われる。
1947年に米軍によって撮影された航空写真。
画像中央から左側にかけて、
細長い谷沿いの耕地と2軒程度の建物が確認できる。
出典:地図・空中写真閲覧サービス USA-M105-65
集落の現状 #
集落までの道 #
今回は力丸ダム方面から県道92号線を登ってアプローチした。
(実は3回目の探索だったりする。)
この県道92号線は画像の通り険道である。
自動車は(おそらく)通行不可となっている。
そんな県道だが、新道が建設中のようである。 いずれ「険道」という汚名を返上する日がくる…かもしれない。
耕地跡 #
険道もとい県道をそれて谷を登って行くと耕地跡に到達した。
谷の斜面にそって耕地の跡が広がっていた。
木に記された「好」の文字。
自動車はおろか歩いてくるのも難しいこの地に
一体誰がこの文字を残したというのだろうか。
(妖怪の仕業かな?)
屋敷跡 #
探索時は耕地跡からそのまま尾根まで上り、屋敷跡へ斜面を降下した。 集落が現役であったころは屋敷跡から直接耕地へ下る道があった筈である。 (じゃないと不便すぎる)
崩れかけた祠(神社?)の跡を見つけた。もちろん地図には載っていない。
社殿(?)は既に崩壊してしまっていた。
別の祠。合祀されていたのだろう。
こちらは屋敷跡。
この屋敷跡付近では道の跡を確認できた。
集落跡の遺物。 農業機械などは上の道を通ってここまで運ばれたのだろう。 このほか牛乳瓶やビールの空き缶など、比較的新しい遺物が多かった。 離村時期とは合わないように思えるが、 集落の無人化後も農地などとして利用されていたのかもしれない。
現在(2018年7月)の、県道の峠付近。 既に脇田方面からはここまで車道が整備されている。 いずれ力丸ダム方面の道が完成すれば、 楽に自動車で峠を越えて通行できるようになるだろう。
この峠を見下ろす高台にあった石塔。
法面から階段を登って来ることができる。
非常に古いもののようで、文字などはほとんどかすれて読めなかった。
石塔裏側には
大久保
中
□加木(□は判別できない文字)
と刻まれていた。「□加木」も近隣の地名と思われるが、どこかは不明。 なおこの石塔の横から大久保集落へ向かう道がある。 普通に集落を探訪するならここから行くのがクレバーである。 (普通の人はそもそも廃村には行かないけどね)