今昔マップで旧版地形図を眺めていたところ、昭和30年ごろまでは地形図に記載されているが それ以降の年代のでは地図から消えている神社を発見した。 インターネットで検索しても情報は得られず、ひっそりと廃れて無くなってしまったのではないかと思ったのだが…
追記 #
2019年1月現在、Google mapにバッチリ記載されていることを確認。 このページの存在意義とはいったい
以下の写真は2015年3月に撮影
神社の鳥居。
鳥居の扁額。この神社の名が愛宕神社金比羅社であることがわかる。
神社の拝殿へ続く階段。比較的新しい手すりが設置されている。
神社の拝殿。
御堂建造・地震復旧 記念碑の裏側。 内容は以下の通り。
一、愛宕神社御堂建設 一、金七拾萬円也 昭和五十五年三月吉日一、平成十七年三月二十日 福岡西方沖地震にて、鳥居、狛犬、灯篭、稲荷御堂倒壊 復旧費 一、金壱百参拾萬円也 平成十八年三月吉日復旧今後も愛宕神社と住民の祭りが栄えることを祈念してこの碑を建立する平成十九年三月吉日池田木ノ下住民一同
追記 #
2018年10月31日 内容大幅書き換え 「筑紫野市史 民俗編」には筑紫野市山家の神社の一つとして、
池田(所在地の小字か) 愛宕神社 棟札「御殿再建 明治九年子九月吉日 発起 山田甚三郎 福石・木ノ下組合中。」
という記載がある。少なくとも明治九年(1876年)には神社が存在していたこと、この年に社殿が再建された事がわかる。
記念碑や市史の記載、さらに神社までの参道に設置された手摺りなどからわかるように、古くからこの神社は地元の住民にとって大切で身近な存在であり それは平成の今となっても変わっていないようだ。