移転前の篠栗八十八箇所 第十九番札所 立江寺

移転前の篠栗八十八箇所 第十九番札所 立江寺 #

探索日 #

  • 探索日 : 2017年3月
  • ページ最終更新日 : 2022年5月28日

篠栗四国八十八箇所 第19番霊場 立江寺 #

四国八十八箇所霊場といえば、全国でも有名な霊場の一つであり 信仰に篤い修行者だけでなく一般の人たちにも巡礼され親しまれている。 その歴史は古く、室町時代には既に巡礼が行われた記録が残っているという。
この四国八十八箇所を模した霊場もまた全国各地に設けられており、福岡県の篠栗八十八箇所もその一つである。 こちらは1835年に慈忍という尼僧が創設を発願したのが始まりである。
そんな篠栗八十八箇所の第19番札所は篠栗町日ノ浦にある 篠栗地蔵堂 で、 四国八十八箇所の同じく第19番霊場の立江寺を勧請した事から、こちらも「立江寺」と呼ばれることもあるようだ。

かつての立江寺と日の浦集落 #

当初は古い航空写真で日ノ浦の南側の谷沿いに数軒の家屋と田畑が確認できたので、 廃村探索のつもりで訪れたものの、探索中にこの立江寺の関係者の方と偶然出会い 当地の歴史について貴重な話を伺うことが出来た。
内容を要約すると以下の通り。

・谷沿いの集落(?)は「日の浦(ヒノウラ)」という
・集落名の由来は、北向きの谷で日が当たらないからではないか
・江戸時代は福岡藩に特産品である木を売り生計を立てていた
・かつてこの谷奥には寺があり、遍路道の途中であった
 (この谷から東側の荒田高原方面へと行く峠道があり、それが遍路道でもあったのだ)
・「尼さん屋敷」という、尼さんが二人住んでいた家があったという
・寺跡付近に古い墓があったが、今は不明
・峠の頂上には茶屋があった
・50年ほど前に土砂崩れがあり、家と寺が流された 峠道が廃道になったのもそのため
・このため寺は場所を移った それが現在の第19番札所 立江寺

航空写真 1975年 1947年に米軍によって撮影された航空写真。 谷沿いに耕地が広がり、谷奥には建物のようなものも見える。 さらに荒田高原方面への峠(写真下部やや右寄り)には小さな建物も確認できる。前述の茶屋ではないだろうか。
出典:地図・空中写真閲覧サービス USA-M121-13
実際に昭和十年発行の篠栗八十八箇所霊場に関する書物に掲載されている巡礼地図では、 現在よりも南の山奥にある第19番札所とそこを通る遍路道が描かれている。


現在の寺跡 #

日の浦 入口 国道201号線から南側へと谷を登って行く。
余談だが、この国道沿いには「日の浦口」という名称の西鉄バスのバス停がある。
「日の浦」ではなく「日の浦口」であるのは、かつては谷奥に人の営みがあったという証拠ではないだろうか。

対岸の耕地跡 沢の対岸にある耕地の跡。航空写真では1970年代まで家屋も確認できる。 今では藪のせいで跡地に近づくこともままならない。

林道日ノ浦線 終点 しばらく上ると谷が二又になるので、東側の谷を選ぶ。 さらに登って行くと林道終点の標が現れる。

廃寺 跡地 林道終点の辺りが廃寺の跡地である。 石垣の美しさや雰囲気はもはや尊いと言うほかない。

廃寺 跡地2 より近づいて撮影。写真左の大木は明らかに周りの植林された木々とは異なっている。 これも寺が現役であったころの名残りといえないだろうか。

廃道の峠道 荒田高原方面への峠道は、土砂崩れと50年という年月の経過のためか不明瞭である。 明確な道跡が確認できた場所もあったが、写真の通り谷を遡行していくようなところもあった。 峠の頂上には茶屋があったといい、古地形図でも2軒の建物が掲載されている。 丸尾・荒田高原へ下る道は未探索だが、道跡は乏しいように見えた。

現在の立江寺 #

現在の立江寺 遠景 現在の立江寺 近景 こちらが現在の立江寺である。
今回の探索では立江寺に関わる方との出会いにより、 インターネットで古地形図や航空写真を眺めているだけでは決して得られないような事がわかった。 特に情報の少ない廃村探索などでは付近の住民からの情報が非常に大切であると実感した。 また、無断での探索にも関わらず貴重な情報を与えてくれたこの方には感謝してもしきれない。