糸島峠

糸島峠と旧道 #

探索日 #

  • 探索日 : 2018年4月
  • ページ最終更新日 : 2022年5月28日

福岡県道56号福岡早良大野城線は、福岡市西区を始点として糸島市を南下し、福岡市早良区に入ったあとは東へ向かい那珂川町と終点の大野城市を目指している。 そして糸島市から早良区曲淵へ行くために越えるのがこの糸島峠である。

今でこそ交通量の多い主要道であるが、地形図や航空写真を見る限り糸島峠が現在のように整備されたのは1990年以降であると考えられる。 道自体は古くから存在していたが、幅員も狭く車が一台通れる程度であったと思われる。 いつ県道56号が県道に指定されたのか不明なので、今回紹介する道が「県道の旧道」であるかは不明である。(細かい話かもしれないが) なのでこのページでは、単に「旧道」と記述する。

以下に旧道のルートを示す。探索時の行程とは異なる。

糸島側の旧道 #

この「旧道」のうち、糸島側の部分については地形図を見る限り川の右岸と左岸にそれぞれ道があったようである。 今回探索したのは右岸の道である。左岸の道については、大部分が現道と重複しているようである。

旧道入口 現道から見た旧道の入口。「どこだよ」と思われた方は上の地図を見ていただきたい。
そもそも厳密な旧道の区間とその入口(あるいは出口)がどこかはわからないので、この地点を旧道の入口と仮定する。 正直に言って農道か何かにしか見えないが、現道と比較すると1990年前後までこの旧道が主要道であったとは考えづらい。 今でこそトラックなども多く走る県道だが、かつてはあまり重要な道とは考えられていなかったのではないか、と思う。

旧道風景1 一応コンクリートの舗装もあるので、車で走行することも可能である。

石碑1 旧道が小さなヘアピンとなっている辺りには石碑が建っている。

石碑2

かなり古びた石碑であった。「怡土村弓林」と書いているのだろうか? 「怡土村官林」ならば意味が通りそうな気もするが。 ちなみに怡土村というのは1889年から1955年まで存在していた村で、この付近一帯が村域であった。

旧道風景2 やがて旧道沿いは植林された山の斜面に変わる。 コンクリート舗装は残っている部分もあれば消失している部分もあった。

石垣1

石垣2 写真のような石垣も見られた。だがこれは道路のためというより、昔の耕地に由来するものではないかと思われる。 かつては谷沿いに多くの田畑が広がっており、旧道沿いにも段状の耕地が存在していたことが航空写真より確認できる。

はたけ 現役(?)の畑も少しであるが残っていた。このような"生きた"風景を見ると何となく安心するのは僕だけであろうか。

合流地点 この地点は畑があることもそうであるが、左岸の旧道がこの右岸の旧道に合流するという点でも重要である。 合流した2本の旧道は右岸を通って峠を目指す。現道はそのまま左岸を進む。 「どういうことやねん」と思われる方もいるかもしれない。まとめると下のイラストのようになる。

イラスト ↑左岸の旧道が川を渡っている橋については今回はチェックし忘れ。 ちなみに、ここに来るには現道から来た方がはるかに便利で早いと思う。旧道の存在意義…

旧道風景3 畑および合流点を抜けると旧道は荒れ始める。ここからは廃道と呼んでもいいような状態である。 写真のように道はガレており、所々倒木などもあるので合流地点から峠まで車で通り抜けることはできない。

旧道風景4 現道は巨大な橋で旧道を2度またいでいる。写真は糸島側から峠を目指したとき、最初に立体交差する地点である。 一抱えもある岩が路上に転がっていた。現道から投棄されたであろう様々なゴミが何とも痛々しい。

旧道風景5 このように旧道は路盤が消失していた。あるいは橋がかかっていたのかもしれないが、痕跡を見つけることは出来なかった。

旧道風景6 放置冷蔵庫くん迫真の主張。左側の擁壁は現道に由来しているものではないだろうか。 この付近は、自然の力というよりも現道の開発によって旧道が荒れている印象があった。無論仕方のない事かもしれないが…。

旧道と現道の合流 旧道と現道の合流地点。勾配が急である。

糸島峠付近 合流地点から峠まではほとんど距離は無い。現道の建設の際に峠は掘り下げられており、本来の峠は今より数m高い所にあったと考えられる(後述)。

福岡側の旧道 #

福岡市側の旧道は大部分が生活道として使われ整備されている。廃道ではないので手短に紹介したいと思う。

旧道 曲淵側入口 こちらは福岡側の入口(という風に仮定した)。 右が現道で、旧道は左側の道である。 旧道とは言え路側帯には緑色の線が引かれているなど、しっかり補修されている様子が伺える。

第三飯場橋 親柱たち 旧道にかかっている現在の「第三飯場橋」。その前代にあたる橋の親柱が、たもとに安置してあった。 親柱によると前代の橋は昭和二年十一月に建設されたらしい。現在の橋は見たところ新しく、最近建て替えられたのではないかと考えられる。

旧道風景7 飯場集落を抜けたところ。地図には記載されていないが、ここから飯場峠へ続く小径が存在する。

旧道風景8 峠の頂上付近にさしかかると、このような分岐があらわれる。右の道は現道に接続しており、左の道が旧道なのだが…。

峠 頂上付近 左の道を進むとご覧のように行き止まりの広場になっている。白い柵の先は現道の法面で切り取られており5mほど高低差がある。 おそらく現道工事の際に峠は大きく掘り下げられ、旧道とは異なる位置に現道を通したためこのように旧道の一部分が取り残されるようになったのではないかと推測される。 もしそれが正しければ、かつての峠付近の道はかなりの急勾配だったに違いない。 現道では峠の掘り下げとS字カーブのおかげで緩やかになっている。道路も日々進歩してるんやなって…(感銘)

峠の石碑 ちなみにここには石碑が建っている。