長野峠の旧道 #
探索日 #
- 探索日 : 2018年4月
- ページ最終更新日 : 2022年5月28日
長野峠 #
福岡県と佐賀県の間には背振山(標高1055m)を始めとして東西に脊振山地が横たわっており、福岡の糸島市と佐賀県の間にもこれを越すための峠が いくつか存在している。長野峠もその中の一つで、現在は福岡県道・佐賀県道12号に指定されており糸島市と佐賀市を結んでいる。
かつての長野峠 #
糸島郡誌によれば、長野集落(現 糸島市)から佐賀県に向かう道路は長野越といい、もともとは通行困難な小路であったが新道工事が大正九年六月二十四日起工され、大正十年五月二十六日に開通式が行われた。
当初は郡道として建設されたが、郡制廃止に伴い県営に移管されたという。
昭和四十三年に再び道路建設が行われ、これが現在の車道に対応すると考えれれる。
余談ではあるがこの長野峠では石器時代の遺物も発見されていて、古代からの交通路として使われていたことがわかる。
江戸時代には小城藩主が参勤交代の際に峠を通って福岡に向かったという記録が残っており
明治時代にも主要な往還として扱われていたという。(富士町誌より)
脊振山地を越す他の峠(白木峠や荒川峠など)に先駆けて道路改修が行われたのも、そういった理由からだろう。
今回探索したのは大正十年開通の福岡県側旧道で、現道とはほぼ別のルートを通っている。 ちなみに佐賀県側は未探索。大きな旧道は存在しないと思われる。
最近の長野峠 #
糸島市の別所集落の方の話では、旧道は豪雨(おそらく平成30年七月豪雨)が起こるまでは車で通行することが出来たという。 道路の線形は大正時代当時とほぼ同じだが、それ以外は普通の林道のようだった。
今回の行程を上の地図に示す。
旧道が現道と分岐している辺り。
今では、旧道は林道 別処-富士線として管理されている模様。
そこまで路面状況も悪くなく、至って普通の林道のようである。
前述のとおり、道中ではいくつか崩壊している場所があった。小さなものを含めれば5,6箇所はあった。
地形図では小さな峠のようになっているあたり。小さな切り通しの他は何もなかった。
古い地形図ではこの辺りに神社の記号があったが現在は麓の長野集落に移転している。 写真の石垣(のようなもの)や、放棄された食器などが見つかった。 移転時期は不明だが、航空写真で見る限り現道の建設に伴い移転されたと思われる。
つづら折りを上って峠に近づいてきた。
峠の頂上に到着。この先で現道に合流している。
旧道となった距離は長いものの、林道として管理されていることもあり(崩壊地を除けば)荒れている場所も少なく、 特筆すべきこともあまりない道であった。
こちらは現道の峠頂上。現道と旧道は道中だけでなく峠も異なるところを通っている。
おまけ 移転後の神社 #
長野集落に移転された神社。「正一位 稲荷大神」の扁額が確認できる。
鳥居の裏には、「平成十五年十一月吉日」の文字があった。 社殿などの様子を見るに、この地に移転してから平成十五年に鳥居などの改修が行われたと思われる。