新建越 #
探索日 #
- 探索日 : 2018年2月
- ページ最終更新日 : 2022年5月28日
新建越は、福岡県久山町の柳ヶ原と久原を結んでいた道にある峠である。
「久山の景観と暮らし (久山町教育委員会)」に、この道について地元の方から聞き取った話が載っていた。 その内容をまとめると以下のようになる。
・新建越(しんたてこえ)…
柳ヶ原からは焼入を通って、新建を抜け、新建川沿いに下流の山ノ内あたりまで降りていくことができた。
("焼入"は柳ヶ原集落付近の小地名であると思われる。)
・この道は久原川沿いに首羅まで下りるルート(現在の県道21号線及びその旧道を通るルート)よりも近道だった。
・ただしこの道は馬車などは通れず、人間のみが通ることのできる道であった。
これ以外に情報は得られていない。
インターネットで検索してみても当然のように何もヒットしなかった。かなりマイナーな道なのだろう。
現在、久原側は峠にかなり近いところまで林道が整備されており、距離はあるものの徒歩であればたどり着くのは難しくない。
また柳ヶ原側からも林道を通って峠まで近づける。
集落から峠までは久原側からの行程に比べて非常に短く、是を以て柳ヶ原集落がいかに高地にあるかを知るのである。(続筑前国風土記っぽい受け売り)
今回は久原側から峠にアプローチし、峠を越えて柳ヶ原集落へとたどり着いた。
探索の行程を以下の地図上に記す。
現在の新建越 #
山ノ内集落の北側に林道新建線の始点があり、ここから峠をめざす。
少し進むと、林道の脇に石碑が安置されていた。写真は石碑の正面部分である。
石碑の側面には「自是東北柳ヶ原」と記されていた。これこそ新建越が柳ヶ原集落と久原地域を結んでいたという
確たる証拠ではないだろうか。
石碑の下側は土に埋もれていて見えないのではなく、欠けていた。もともと別の場所にあったのをここに移したのだろうか。
昭和八年十二月? 写真がぶれていて読めない(無能)。
林道を登っていくと、このような石垣とそれによってつくられた平場が林道脇に現れる。
平場の奥には石組みがあった。おそらく炭焼きの窯の跡だろう。
割れた皿の破片も落ちていた。
田畑の跡と思われる地形も付近にはあり、まるで昔は集落があったかのような佇まいである。 だが古い地形図にもここに家屋や地名は記されていないので実際にどうだったかはわからない。
林道は舗装されており、自動車で通ることもできるかもしれない。さらに登るとやがてゲートが現れる。
林道はここから勾配がきつくなる。 このあたりは九大の演習林となっている。
林道は途中で峠とは別の方向に続いているので、林道を途中でそれて峠を目指すことになる。 とはいっても林道から峠までは100mも離れていないが。
この場所から林道をそれて峠を目指すことになる。写真奥に見える稜線の切通が峠である そこまでの道が無いように見えるんですけど…
不安になりながらも藪をかきわけて沢を渡ると、ただの沢とは異なる道跡が残っているのを発見できた。 今回は冬だったので苦労はしなかったが、季節によっては道を見つけるのは少し厳しくなるかもしれない。
いよいよ峠! ワクワクする…しない?しないよね。
まあ大してインパクトのある道でもないし。
峠の頂上だが特に遺構などは残っていなかった。 九大の演習林として今も利用されているためか、尾根上には歩ける程度の道があった。
峠から柳ヶ原集落までの道。人が一人歩ける程度の道が谷の脇に残っていた。
少しばかり峠から下ると林道に合流する。 久原側と比べるとこちら側の林道はやや荒れた感じがするものの、歩くには支障のないレベルである。
犬鳴隧道から柳ヶ原集落へ向かう道と林道の合流地点には、ゲートが設置してあった。
柳ヶ原集落は現在廃村になりかけてはいるものの、心霊スポット目当ての不法侵入に対する策としてか元住民の方が犬を放し飼いにしているようだ。
峠を越えたあたりから犬の遠吠えが聞こえてきている。怖えぇ…
おそらくこの道は元々集落の生活道程度のものだったのだろうと思われる。
どうしても県道21号線を通らずに徒歩で柳ヶ原集落に辿り着きたいという変人は、ぜひともこの道を利用していただきたい。(もちろん自己責任で)