戸板越

戸板越 #

探索日 #

  • 探索日 : 2017年12月
  • ページ最終更新日 : 2022年5月28日

早良区板屋と那珂川町戸板を結んでいた峠道 #

戸板越は早良区板屋と那珂川町の戸板集落を結んでいた峠道。 まずはこの道について今のところわかっている情報を紹介する。 江戸時代に編纂された続筑前国風土記より

〇戸板越
南面里村の枝村に戸板と云所あり。本村の上彌高き所にあり。
~(中略)~
此岩のわきより早良郡板屋村へ越る道あり。是を戸板越と云。此道の間大石多くさまざまものの形に似たる岩あり。 嶺に杖取と云所あり。
これ早良郡那珂郡の境なり。南面里より此所に上るには、坂の間甚長く山高し。嶺より南の方板屋村に下るには、坂ひくし。
是を以て板屋村の地甚高き事をしるべし。

「郷土誌 那珂川」より

鏡岩
戸板から早良町板屋に越す山道は今は通る人もほとんどなく草木が生い茂り岩や石がごろごろしているが、むかしは戸板越といって福岡から背振に行く最短の道であった。
いま附近一帯は植林がなされているが、大正の中ごろまではいわゆる馬草山で見渡す限り野原であった。その野原からの博多湾の眺望は実にすばらしかった。
山道はくねって野山を横切り尾根を越し高原状の台地を通る。ここあたりを鏡原とよんでいた。

「福岡県地理全誌」(明治5~13年編纂)によると、南面里から峠を越えたところにある板屋村(現福岡市早良区板屋)では「杖取嶺」と呼ばれていたという。
また、途中で西に向かい小笠木村(現福岡市早良区小笠木)に出る小径もある。だがどちらも険しい路であったという。

廃道探索前に戸板集落の方から聞いた話をまとめると、

・4,50年ほど前までは通っていた
・林道や作業道の建設によって道はわかりづらくなっている
・今は藪になっていて通れないのでは
・廃道後は犬ですら迷子になった?(僕の聞き間違いかもしれない…聞き取り時は冗談だと思っていた。なお後に本当に迷子になる模様)

また、いつの頃の話かは不明だが、その方は背振山に遠足にいった際にこの道を通ったのだともいう。かなり昔のことだとは思われる。 江戸時代の書物にも名前が載るような道であり、由緒正しき古道の一つなのかと思いきや、この道に関する情報はインターネット上ではあまりにも少ない。 とくに現在の状況について詳細にかかれたサイトは無く、(個人的に)謎の深い道であった。

今昔マップによると、昭和29年以前の地形図と昭和42年の地形図では戸板集落から峠にいたるまでのルートが 若干異なっている。今回は後者の昭和42年のルートを通ったのだが、前述の「鏡岩」などはより古い昭和29年以前のルート沿いにあると思われる。

今回は戸板林道より峠を目指したものの道が見つからなかったため、逆に板屋方面から峠を越えて戸板集落まで降りることにした。 だが途中で道を見失い、また日が暮れるまでに林道に戻りたかったので強引に斜面を降りることになった。 そのため正確に道跡を辿ることはできなかった。(無能) 残念ながら失敗に近い内容だったが、これを見た他の方がより詳細にエクセレントに探索を行ってくれる事を期待して公開したいと思う。

今回の探索でたどったルートは上の地図のとおりである。かなりガバガバなルートであり軽く遭難しかけたので、絶対にこのルートを参考にしてはいけない(戒め) もし訪れたいと思う方は自分で正確な地図等を入手して自己責任で探索してね。 このページではいくつか道中で撮った写真を紹介する。

探索のスタートは上の地図にある「スタート地点」である。大丸城の探索を行ったあと、尾根上を歩き続けてここまで来たのだ。 ここまでは板屋集落から林道を通ってくることもできる。

峠? 実はこの道中でどこが明確な"峠"なのかはわかっていない。そのため道中で最も標高の高いこの地点をひとまず峠とする。 写真には写っていないが掘割のような地形は存在していた。この辺りが 続筑前国風土記 における「杖取」という場所なのだろうか…。

道中 峠らしき場所から少し下った地点。まだ道跡を確認することができる。

謎の部品 地面に落ちていた碍子。人工物はこれ以外にはほとんど発見できなかった。

道中2 地形図では傾斜が若干ゆるくなっている辺り。写真を見る限りしっかりした道跡が続いているようだが、この附近で踏跡は無くなってしまう。 この先は地図無しでは遭難してしまうだろう。

闇 4枚目の写真から一気に場所が飛ぶ。途中で道を見失い、山の斜面を半ば滑り落ちながら進むことになった。すでに日が暮れかけていることがこの写真からわかる。 林道からはかなり近い場所だが、わずかに道跡(のようなもの)が確認できるだけである。このあとは戸板林道を通って戸板集落まで降りていった。

聞き取りに快く応じてくださった上、見ず知らずの僕の心配までしてくださった戸板集落の方々、本当にありがとうございました。 この心温まる体験ができただけでも今回来て良かったと思っています。

追記 #

2018年11月13日 追記

早良区の板屋集落で聞き取りを行ったところ、

・板屋から戸板へ行く道が昔はあった。ナメリゴシ(南面里越? 南面里は那珂川市の地名で戸板集落の近くにある)と集落の方は呼んでいた。
・このほか、那珂川市の共栄橋から寺倉、前峠(廃村)を通って山を越えて板屋に来る道もあった
・その方は小さいころ、その道を通ったことがあるという(戸板越は通ったことはないとのこと)

これらの事がわかった。今はもうどちらの道も無くなってしまって通れないのではないか、とのこと。
ちなみに前峠→板屋ルートは探索済み

また、この辺りは菅原道真に関係する地でもあるらしい。
かつて都を左遷された道真が大宰府へと向かう途中、小笠木峠を越えて戸板から板屋にやって来たのだという。
この故事が戸板や板屋の地名の由来となっているという説があり、板屋集落の方からもそのような話を伺った。
板屋集落には北山神社という菅原道真を祀る神社があり、梅の家紋を持つ家もいくらかあるという。
もし本当の事だとすれば、かの菅原道真も1000年以上前にこの戸板越を通ったのだろうか。