福岡県朝倉市の廃村 首渕集落#
探索日#
- 探索日 : 2019/9/8, 2020/4/23
- ページ最終更新日 : 2026/4/26
首渕集落跡#
朝倉市の秋月から程遠くない地にあった集落。
かつての集落#
1951年10月出版の秋月史考には以下の記載がある。
「口碑」、坂田越後守諸政は浦泉上、宮園の内坂田ケ城に居り休松山城を受持ちたり、大友の軍攻め来りて戦利あらず、
今の首淵迄退きて此所にて自刃せり、墓は首淵入り口左の山間老松の下に在り、近年其子孫坂田磯五郎氏修築せり。
自刃の時従臣のはねたる首が淵に落ちければ此地を首淵と名づくに至れりとぞ。戦国時代にこの地で自刃した武士の首が落ちたことから、「首渕」という地名になったという。
現在の集落#
何軒かの廃屋が残っており、最近まで人が住んでいたと考えられる。
集落跡と廃屋#
集落の遠景。離村から日が浅いのか、まだ植林等はされていない様子。
数軒の廃屋がのこる。



廃屋#
いくつかの廃屋はまだ倒壊を逃れていた。




祠と石碑#
集落の祠。

庚申塔

傾きすぎて平行四辺形になった祠。
「新四国八十八ヶ所 五番札所」の碑が建っていた。
四国の八十八ヶ所を模して作られた霊場と思われるが、あまりにもマイナーすぎて情報がない。


首渕という地名の由来になったと思われる「坂田越後守諸正」なる人物を祀った石碑。
石碑の土台には「大蔵諸保」と彫られた別の石碑が使われていた。
なおこの石碑の建立は昭和十四年(1939年)十月のようだ。
これら人物についての来歴などはページ下部にて説明。


その他#
集落西側では墓地を確認。

集落東部ではため池のような遺構を見つけた。


坂田越後守諸正について#
坂田氏は戦国時代まで近辺を治めていた秋月氏の家臣であり、江戸時代も秋月藩士として仕えたという。
上秋月神社では戦国期の坂田越後守を祀っているとのこと。
福岡市博物館の目録(目録6)
ちなみに秋月氏自体は一時的に所領を失った後は明治維新まで日向国の高鍋藩主として存続しており、そちらに同行した坂田氏もいたようだ。
石碑の坂田越後守諸正については『秋月史考』の「坂田越後守諸政」と同一人物であろうか。
なお天保三年(1832年)に行われた遠忌の記録が残されている。
「遠忌」とは五十年忌、百年忌など没後長い時間が立ってからの法要という。
「大蔵諸保」についてだが、文化年間(1804〜1818年)の史料に「坂田諸保」の記載があるようだ。
諸の通字などを考えても、当時の秋月藩士の坂田氏と考えられる。
次に「大蔵」であるが、秋月氏の本姓でもある大蔵氏のことであると考えられる。
おそらく坂田氏の本姓として大蔵氏を名乗ったと思われるが、系図等がないため坂田氏の由来については不明。